一期生の月影が傾いて、餘算(←読めない)の形が山の端っこに近い。勇敢に三途の闇に向かおうとするとき、何の技で周りを囲まれるのだろうか。佛(←中国の国?)の人にお金を払って教わった大技は、法律に触れるため使おうとすることができない。草の庵を愛することが唯一自分に科せられた宿命。どんなに寂しくったって、悲しくったって、法を犯してはならない。もう用済みの楽しみを述べて、虚しく時間を過ごす。静かな曉(←あかつき?)がこの状況を思い続けて、私の心に問いかける。
「世の中の盾が山林に混じると、心臓の高鳴りがおさまった状態で道を進むことができる。汝の姿は松田聖子に似ていて、心は濁っている。住み家は淨名居士(←キレイな名前を持った、居候している武士?)の居た後を汚さないといえども、そのままにしている場所は周梨槃特(←周りは梨で一杯の特別っぽい場所?)で、首里を判読しに行くとしても、及ばず。もしこれが貧乏の報いの自らを悩ますか、それとも妄想心に至ってとち狂うか。」
そのとき、私の心は何も答えなかった。ただ傍らで舌を出しながら、請け負わないための念仏「兩三遍(←約束三か条みたいな感じのもの?)」を申し続けて、止めなかった。
時に建築歴2年の年の瀬、三月弥生の最終日が身ごもりごろ、桑門蓮胤とかいう男(←際も際になって新キャラクター登場)は外の山の庵でこれを書いた。
※上記は、鴨長明著「方丈記」の跋文を元に、適当に間違った翻訳をしたものです(笑)。
跋文・追記(2006.9.19) 随筆集第二弾「随筆・方丈古賀」は、(元祖「方丈記」に合わせて?)本編が合計9編で終了となります。当初は「はかなさ」を共通テーマとして書けたらとも考えていましたが…ただのエッセイ集になっていました。今回、写真やその他ギミックも使ってみようと思いましたが、ギミックを使えたのは第6編の「同意します」ボタンくらいで、写真をふんだんに盛り込んだ話などは実現できませんでした。 一時期、エッセイを書くモチベーションが保てず、次を発表するのが2ヶ月も3ヶ月も先になることがありました。徒然古賀のページフォーマットに慣れすぎたせいか、更新がおっくうになってました。9編で終わるのは予定通りだったので、1回ごとにある程度の分量を持ったエッセイを書かないと格好がつかないな…とか考えてプレッシャーになったりもしていました。また、連載系の突発企画とかができなかったのもモチベーションが持たなかった原因かもしれません。結論として、縛りをきつくすると厳しいなぁ…ということでしょうか。 「随筆・方丈古賀」はこれで終了しますが、次に新エッセイ企画を立ち上げるとしたら、前作「徒然古賀」のような感じの、短編から何まで書き散らす感じのものにしたいと思います。モチベーションによっては、1行で終了とかも有りかなと思います。元のタイトルが「徒然草」「方丈記」と来たら、残りは三大随筆で残った「●●●」をパロディしましょうか…?でも、あれは三百段以上もあるとか何とか…ゴホゴホ。 新エッセイが開始したときにまた会いましょう。それでは、Kogaでした。 2006年9月19日 Koga(「Style.K」管理人)
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