世の中には信じられないような現象を往々にして「奇跡」と呼びます。その大きさは様々ですが―――
初回限定発売の超特典付CDアルバムが、田舎のレコードショップに1個だけ残っていた「奇跡」。
会社に遅刻しそうな時、バスが信号待ちに全く引っかからず、途中の停留所でも待たされずスムーズに走って、ギリギリ間に合った「奇跡」。
歩いている途中、靴紐を結ぼうとして立ち止まってしゃがんだ瞬間、目の前に鉄骨が落ちてきて直撃をまぬがれた「奇跡」。
テレビゲームのボス戦、あと一撃で負けるってときに、最後の攻撃でボスを倒した「奇跡」。
今をときめく超人気バンドのコンサートの最前列チケットが取れた「奇跡」。
大学時代の想い人に街中でばったり出会って、そこから恋愛が始まった「奇跡」。
「例のあの人」に殺されそうになったけれど、自分の母親の「愛情」おかげで「例のあの人」の攻撃を退け、生還した「奇跡」。
サッカーなのに手でボールをゴールに押し込むのを審判が見逃していたため、ゴールが認められてしまった「奇跡」。
1頭の馬に1200万円を賭け、2億円近い金額を手にした「奇跡」。
―――時には期待するもの。時には予期せず訪れるもの。時には努力の結果「起こす」もの。時にはツキによって勝手に「起きる」もの。
「奇跡」とは、不思議なものです。
「昔は良かった。」
そんなことをつぶやくようになってかなりの年月が経ちました。周りの何もかもが進化しているようで、実は劣化している。レストランの店員の態度も、テレビに出ている芸人も、家電製品の品質も、街で流れる音楽も…。
少年時代の記憶の中―――「すかいらーく」で注文を聞いてくれた店員は、ひとかけらの「どもり」もなく、憧れるくらいの存在でした。一昔前にブラウン管を賑わしていた芸能人は、その有り余る個性、演技力で感動を与えてくれました。昔買ったラジカセは、今になってもたまに使います。そして、自分にとっては槇原敬之から始まり、ZARD、TUBE、そして当時一斉風靡していたB'z、WANDS、T-BOLAN、大黒摩季、LINDBERG、聴くアーティストが「だるま式」に増えて行った、邦楽。テープを年に何本作ったことでしょうか。
そして、今日自分が見ている現実―――レストランの店員の言葉は昔よりたどたどしくなった気がします。トークのままならない芸能人が増え、ヒヤヒヤものの番組進行。5年前に買ったMDラジカセは昨年あたりから調子が悪くなり、我慢して使い続けているのが現状。何たらプロデュースの元、似たり寄ったりのアーティストが量産され、ベストアルバムまがいのオリジナルアルバムを2〜3枚出して、すぐに消える。
しかし、実際は「世の中が劣化している」のではなく、自分が大人になったから「世の中が劣化して見える」ことに気づきました。正確に言えば人生を続けるうちに無駄に知識を増やし、世の中に対してひねくれた見方しかできなくなった。「大人になるほどズルくなる」―――恩師の言葉が痛いほど分かります。
「あのマニュアル通りの応対、それにとってつけたような笑顔、ミエミエなんだよ」
「なんでこの番組に不釣合いなコイツが出てるんだよ。そうか、不倫騒動で顔が売れてるからとりあえず出しとけば視聴率は取れるって寸法か。」
「あーあ、MDウォークマン壊れたよ。このメーカーの製品、3年経ったらきっちり壊れるよなあ。」
「このアーティストのデビュー曲、2年前ほど前にヒットしたあの人の曲ソックリじゃねえか。とりあえず似ているという『つかみ』で売ろうとする、レコード会社の戦略か。」
少年時代の記憶に残っている、素晴らしい(と思っている)世の中を今の自分が直に見たなら、きっと違うように見え、違う印象を持っていたでしょう。
逆に考えてみると、今現在「少年時代」を過ごしている今の子供たちは、現在の世の中を、「昔自分が世の中を見ていた、少年時代の目」で見ています。先入観を持たず、何に対しても(昔自分が受けたような)素直な感動を受けているはずです。現在世の中を風靡している、浜崎あゆみ、BoA、ORANGE RANGEの創り出す音楽こそが後々「懐かしき思い出」となるはずです。そして、自分の親の世代の方々は、今の自分が持っているような視点で、当時の「自分が素晴らしいと思った」世の中をどのように見ていたのでしょうか―――
「昔は良かった」とつぶやく前に、さまざまな世代から見た世の中というものを考えてみることが大事かもしれません。そして、常に現在の世の中を理解を示すこともまた「大人になること」の一つなのかもしれません。
初めて携帯電話を購入したのが2000年5月。それから5年の月日が経った今、3台目の携帯電話を使っています。進化し続ける携帯電話、2000年当時と比較すると、電話としての機能が霞んでしまうのではないかと思うくらい、何でもできるようになりました。
今自分が持っている携帯電話は購入して2年になります。その携帯電話では、Eメール・Cメールはもちろんのこと、ezWebで色つきWebサイトを見たり、GPSで現在位置を知ることもできます。カメラ付きで解像度は低いながらも写真が撮れたり、ムービーを録画したりできます。着信メロディだって16和音、それだけでなく、実際の曲を着メロにしてしまう「着うた」にも対応。麻雀、テトリス、倉庫番が入っています。購入2年になる携帯電話―――つまり、2003年の時点で携帯電話はここまで進化していたわけです。
今、4台目の携帯電話購入を検討しています。今の携帯電話では何ができるのか、パンフレットを見てみます。
凄い…もうどこから書いていいか分からないくらいですが、100万画素以上の写真が撮れたり、ムービー機能も。ちょっとした画像編集とかもできたりします。もはや一昔前のデジカメ以上です。ゲームも「ドラクエI」や「FFI」ができるというのは知っていますが、このこと自体がまず凄いですね。そして3Dゲームも可能って…ゲームボーイアドバンス並み、いやそれ以上でしょうか。それに、ラジオ受信とか、ここに挙げられないくらいの機能が備わっているわけで…これ、携帯「電話」と呼ぶにふさわしいのでしょうか(笑)。もう、「ポータブルコンパクトPC」みたいな感じの、別の名前に変えたほうがいいんじゃないかと思えるくらいです。
5年前、「徒然古賀」の第一段で、携帯電話のEメール、ezWebサービスに感動していた自分。当時は携帯電話がここまでの進化を遂げるなんて思いもしませんでした。これからどのような方向に携帯電話は進化していくのでしょうか。そのうちロボットみたいに自分から歩き出したりして、自分の意志を持っちゃって、世界征服とか始めちゃったりして、そんなことはあるわけないですね。ハハハ…。
パーッパパパーッパパパー パパパパーパパパパー(競馬・関東GIのファンファーレ)
あ、思いを馳せているうちに着信メロディが鳴り響いていました。そう、どのように進化しようともこの「電話」の機能こそが根幹であるべきなのだと思います。「電話」をベースに進化しているからこそ、今の携帯電話と呼ばれる機器があるのではないのでしょうか。あ、電話の相手を待たせちゃ悪いですね。電話マークのボタンを押してっと。
「もしもし。はい、Kogaです。」